オウム死刑執行麻原の遺骨をめぐる妻3女と4女の対立とそれぞれの言い分 - まるまる録

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オウム死刑執行麻原の遺骨をめぐる妻3女と4女の対立とそれぞれの言い分

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オウム真理教元代麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚の死刑が、他の元幹部6名と共に6日に執行されました。

遺体と遺骨の引取りについては麻原の妻が要求書を提出。妻側の3女と4女の間に対立が生まれています。

 

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麻原本人が4女を指定

死刑施行前に、麻原死刑囚が自身の遺体の引き取り先として四女を指定していたことが関係者への取材で判明した(毎日新聞)とされています。

それによって、当局は火葬を済ませた後の遺骨を、4女に受け入れるよう言いましたが、4女の方は9日に「受け入れる」と明言。

しかし「身の危険」を感じるとして、当面は東京拘置所で保管することとなったようです。

 

妻側の3女の反論

それに対して、3女はテレビ番組の取材で、「作られた話ではないか」と疑問を述べました。

その理由としては、面会をしようとしても、父親である麻原本人が面会をしようとはしなかった、もしくはそのような意思表示ができない状態であったことから、執行前の意思表示が疑わしいということ。

それから、もうひとつは、麻原死刑囚逮捕時には、4女は6歳であり、父との接触がそれほどなかったので、遺骨の受け取り人に父親が指定するとは考えられないということのようです。

そのように聞くと、6歳までしか同居していない子どもに、引き取ってほしいと死刑囚が考えたのかの疑問は湧きますが、下の4女の述懐を聞けば納得できる面もあります。

 

4女の述懐

というのは、4女は次のように述べています。

私は自分が他の親族に比べて実父から愛されたとは最後の言葉を踏まえても思いません。かなり信頼してくれていたのかもしれないというのは思い当たる節があります。実は知る限り彼と最後に接見できたのは私だったからです。

 

「父親とは思えない」

4女は6歳まで麻原も住んでいた教団の施設内で養育されており、やはり特殊な環境であったようで、「今も昔も父親とは思えない」と公言しています。

「思えない」というのは憎んでいるというより、「教祖」としてしか接していないということのようです。

母は育児放棄

また母親との関係も、16歳で出所してきた母と同施設内に同居するも、母親からは幼児期に「育児放棄やひどい言葉」などがあり、家出をして児童相談所に一時入居後に独立。
その後は家族とも教団とも別に生きていると話しています。

なぜ4女とは会った?

麻原が他の家族とは接見を希望せず、また、その意思表示もせず、4女とのみ面会を望んだのかはわかりません。

が、死刑になることを恐れて、精神障害を装っていたという説もありますので、推測すると、妻とも、アーチャリーと呼ばれた教団の後継者と麻原自身が名指した3女とは、会いたい会いたくないではなくて、会わない方がいいとの判断があったのかもしれません。

14年間拘置所は一度も出ていない、他の面会人には会わない、あるいはわずかな接見である中で、会ったのは一人の娘だけ。

ならば、「遺骨の引き取り手は誰か」と促された時に、それほど強い意思ではなかったとしても、ふと間近に会ったばかりの4女の名を告げたということは、あり得ないことではないかもしれないと思います。

 

4女の呼びかけ

聡香さん(4女の名前ですが)は、遺骨の引取りと、さらに心配されている報復・奪還テロなどを踏まえて、弁護士のブログに次のように記しています。

 

もうオウムを終わりにしませんか。社会を憎むのは終わりにしませんか。そして、改めて自分の人生を始めてみませんか。残された者が生きて自分と周りを幸せにするのが死者への最大の供養になるはずです。どうかお願いします。

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