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19日夜のノルディック複合の様子
渡部選手が先頭でスタート。何とかキープしながら、走路を進んで行きます。が、下りになると、楽なはずなのに、ちょっと遅れがちになる。
アナウンサーも「スキーが滑っていない」というのですが、どういうことなのかな、といぶかしく思いながら見ていました。
そして、後続のドイツ勢との距離が縮まって、「ガンバレ、ガンバレ」と言いながら見ていたら、渡部選手のスキーが接触! ああっ!
そこでちょっと皆の後ろになって遅れがちに。
そして画面が変わり、カメラは遠めに先頭の選手の群れを映し出しましたが、ドイツ勢ばかりで渡部選手の姿が見えない。画面を懸命に探し、待ち遠しく待っても、渡部選手が現れないのです。
そのままドイツ勢は一気にゴール。渡部選手は遅れてゴールの後、精根尽きて倒れ込む。呆然の展開でした。
家は朝が早いので、そこまでで10時過ぎなので、眠ろうとしましたが、興奮したのとがっかりしたのとで寝付かれませんでした。
渡部選手の信念を伝える明朝の記事
そうしたら、次の朝に新聞記事が出たのです。
「ずるいやつ」嫌って正々堂々 信念貫いた渡部暁斗の走り
内容:
この日は前半ジャンプ(HS142メートル)で首位に立ち、先行逃げ切りの形に持ち込んだ。4周する勝負の後半距離(10キロ)。先頭でレースを引っ張る。3周目に3人のドイツ勢らに追いつかれても、スタイルを貫いた。
集団の中で相手の邪魔になるような位置につける。風を受けて体力が消耗することを嫌がり、前に出てレースを引っ張るような走りはしない。渡部暁は、そんな「ずるいやつ」を嫌う。
目の前で見た光景が、今も焼き付いている。2011年12月のワールドカップ(W杯)。並走していた選手のストックを踏んで折ってしまった10年バンクーバー五輪金メダルのジェーソン・ラミーシャプイ(フランス)は、相手がコーチから予備のストックを受け取るまで待った。その上で優勝した。「自分もこういう選手になりたいと思った」
以降、積極的に前に出続けた。「最後に疲れてスプリント勝負で負けたとしても」。その戦い方が走力向上にもつながった、と渡部暁はみる。
この日は集団にのみ込まれたあと、最後の上りで遅れたが5位に入った。「体力が消耗して、残っている力を振り絞ってしかけたけど、至らなかった」。人間性も認められるのが真の王者。そう信じる渡部暁が目指す頂は高い。(勝見壮史)
まあ、素人ですと、クロスカントリーの戦略というのが、なかなかわからないのですが、要するに、渡部選手に信念があるのはわかったのです。
ただ、記事では、これだとドイツ勢が「ずるい」みたいに読めますが、もちろんそうではないでしょう。
たまたま順番で3人が近かったこと。そしてその3人が共に力があったからこそ脱落をしないでゴールまで並走できたのも間違いありません。もし日本選手のスタートが近ければ、やはり同じような現象が起きたのではないでしょうか。
スポーツ競技の意味とは
しかし、それでも、上の記事を読むと、スポーツとは、競技とは、そこでタイムを競うことの意味を考えさせられたのです。
実際雪の中を走ろうが、陸上で100m走をして、そこで0.1秒を競っても、実社会には何の
意味もありません。早く走りたいなら、車を使えばいいだけです。
大昔なら雪の中を早く走ることが、人名や情報伝達に即役に立ったかもしれませんが、今ではそれは実益とはかけ離れたものになっています。
しかし、ただ、雪の中を各国の選手が並んで走るのではなくて、そこでタイムを競うということで、選手もスタッフも、あらん限りの知恵と体力を絞り、競技に心を傾けます。
我々素人は、タイムには実はそれほどこだわってはいませんし、技術の細かいところまでえは到底わかりません。
しかし、選手のそういう姿を見ることで、学べる事、心を動かされることは十分あります。それがスポーツ観戦の意義なのだと思います。
逆に言うと、それがなければ、タイムも順位も、競技者ではない、ただ見る人にとっては意味のないことなのです。タイムを競うということは、おそらく選手のモチベーションを高めるための重要な要素なのでしょう。
渡部暁斗選手の試合から一夜が明けて、ゴール直後に倒れ込んだ姿を思い出し、何だかとてもすがすがしい思いになったのです。
さらに肋骨に骨折の報道
そして、さらに今日、渡部選手が実は骨折を抱えて試合に臨んでいたということが報道されました。
渡部暁斗、肋骨折れていた 平昌五輪
ノルディックスキー複合日本代表で、2大会連続となる個人ノーマルヒルの銀メダルを獲得した渡部暁斗(29)=北野建設=が、左の肋骨(ろっこつ)を骨折した状態で五輪に出場していたことが、22日分かった。全日本スキー連盟(SAJ)が明かした。
同連盟によると、今月2日に長野県白馬村であったワールドカップ(W杯)白馬大会のジャンプの公式練習で着地に失敗し、転倒して痛めた。その後、病院で肋骨骨折と診断されていたという。渡部暁はその際、報道陣に対し、「大丈夫。問題ありません。久しぶりに転んで、転ぶのはこういう感じだったなと思い出した」と話していた。(勝見壮史)
とてもとても驚きました。
ハンディを抱えながら、試合の前にも後にも、それを明かさなかった渡部選手。
そしてハンディを抱えながらも、勝ち取った銀メダル。それは通常の銀メダル以上の価値があるのではないでしょうか。
メダルそのものの価値ではなく、その場合のメダルは、その場に渡部選手がいて私たちが渡部選手を見ていたという証、そして、観戦を通して初めて、渡部選手と私たちとの間につながりが生まれたという証でもあります。
ちょうど最初の記事で、ラミーシャプイ選手の行為が、渡部選手にとって忘れられないものとなったように。
競技の後に、敗因について、ドイツ勢の結束、あるいはスキーの板のワックスが悪かったなど様々に取り沙汰されました。誰もがなんだかおかしいと思っていたのでしょう。そして、それがやっと、今朝になって皆が知ることになりました。
それと同時に、渡部選手が不調を抱えながらベストを尽くしたということも。
渡部選手、これからも応援していきますよ!