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一昨日のことば検定「旦那」という呼び名に思うジェンダーフリー

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昨日、ことば検定で取り上げられた「旦那」という呼び名とその言葉について書いたのだが、書きながら思ったことがある。

夫を差す呼び名で、会話の中で「主人が」という奥さんがいるが、あまり好きではない。もっとも、品が良く見えなくもないので、シチュエーションによっては、私も使うこともある。まあ、せいぜい気取った人か、幼い奥さんに見えるだけのことでそれ自体はあまり害はない。

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しかし、それ以上に問題なのは決定を避けたり、責任逃れをする場合に、夫を権威ある人に祭り上げて、「主人に聞いてみます」あるいは「主人と相談してみます」などという場合だ。

実際にはそうでなくても、女性は夫の許可なくしては物事が決められないような印象を相手に与えると同時に、そう言い続けることで、自分でもそのように思えてくることがある。

それでは、まるで男性が関与しなければ社会的な契約はおろか、自分自身が使うものの買い物すらもを禁じられているインドの女性のようである。
そもそも、妻が下僕ではない以上、「主人」はやめるべきだろう。

最近は、かつての上面だけの「男女同権」以上に、ジェンダーという観念が広まってきた。

権威を振りかざす男性の(あるいは女性の)側だけに、性別に対する偏った見方があるのではなく、当事者の女性も含めて社会全体が潜在的にその偏向を有しているというようなものだ。

「主人が」という女性は、多かれ少なかれ、その偏向に加担している。これはセクハラをする男性とも、根本的には同じものだ。

多くは被害者になりがちな女性は自らそのシチュエーションを作っていると言えなくもない。

「主人に聞いてみます」といって、「そうそう、旦那さんとも相談してくださいね」とセールスマンが言ったとしたら、そのセールスマンは、その奥さん本人の言う「主人」と「旦那」の優位性をなぞっているだけだ。

セールスマンは奥さんが「勝手」に物を買ってくれれば大喜びで、第三者の検閲などは不要なのだから。

そうして、不要なジェンダーバイアスは連鎖の上、潜在的に意識に残り続けることになる。

相手にも、それ以上に、そう繰り返す女性自身にもだ。

特に何とも思わないで書いていたが、テレビ番組で出題されるくらいなら、「奥さん-ご主人」「奥さん-旦那さん」という言葉と、言葉の表す関係も、すぐにはなくならないだろう。

しかし、当事者である女性は、自ら「夫」を、「旦那」や「主人」と呼ぶことはもうやめようではないか。

「そういえば、そういう言い方が昔はあったね」と言われるように。
男女の格差がないジェンダーフリーの世の中を目指すなら、「旦那」は死語になっても差し支えないのではないだろうか

一つの言葉から、連想が長くなった。
遅ればせながら私も言おう。
私も。#Me Too

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